天の川の 底のほう

LOVE KENTYがすべて

佐藤勝利くんのこと

これは私が泣きたいためだけのブログです。目を背けて泣いている自分にしっかりしろというためのブログです。吐き出してすっきりしたいだけかも知れないそうじゃないかも知れない。でも1人ではいられなくて。

 

勝利くんの大切な人についての事実を知った。

何一つ失って欲しく無かった人が一番大切なものを失っていた。ショックでぼーっとして勝利くん、勝利くん!って1日呼び続けたけど、言葉が後に続かない。目をつり上げて可愛く笑う勝利くん。何かが終わることが苦手ですぐに泣いちゃう勝利くん。ウェルセクツアーのラスト、花咲くみんなと5人の笑顔を祈ってくれた勝利くんに、もう一つ大切な祈りがあったこと。

 

こんなに悔しくて悲しくて許せないことはない。何をどうしたって私は需要側の人間で、消費者の立場から一歩も動けない。二日前に組み込まれたというジャニアイの演出にもショックだった。脳裏に浮かぶだけでも涙が出るであろう事実を新聞で公表されたことも、練りに練られたのではなく簡単に組み込まれた演出も、毎日それを自分の口で叫ばなくてはいけないことも、本当に信じられないけど誰に向けられたものかといえば観客で、受け手は私だった。

かわいそうだから嫌ってことじゃない。しいて言うなら自分のことが嫌だった。私が大好きでいる以上、勝利くんはこちらに向かって心を削って何かを産み出し続けてしまう。

こんなことを聞けば勝利くんが悲しむことはわかってる。お仕事としてこなすことで救いがあるのかもしれないわからない。お父様が舞台に立てる、花道になる、それもそうかも知れない、だけど

私はやっぱり自分が許せなくて。

 この演出を提案したジャニーさんを責めれば少しは救われるかも知れない。でも嫌いな人となるべく関わらないように生きてきた私はそういう人もいるんだくらいに思ってしまう。嫌いな思考を遠ざける選択肢があるのに、まだファンでいる自分はどういうつもりなのか。こんなに歳の離れた男の子が心を絞って叫ぶのを見ても大好きを続ける自分は

 

 

ふとした時に何度でもはっとする。大好きでいることは、勝利くんの心を削らせることだ。削らせられる姿を黙って見るだけじゃなくて削った心をエンターテイメントとして受け取ることだ。違うけどそうだ。全然違うけど、絶対にそうだ。

 

 

 勝利くんが、SexyZoneが本当に大好き。

どんな時も大好きだった。どんな時も。

何も失って欲しくなかった。お誕生日がくれば、この一年更に幸せになって欲しいって心から思ってたよ。

こんな未来をどうして想像出来ただろう。大好きな人の絶望と、それを消費せよと差し出される未来を。

 

 ファンでしかない自分は、どんなに揺るがされても何かを変える選択肢は二つで続けるかやめるかしかない。その背中にそよ風ほどの圧力も手を添えることを願ったって叶わない。今の勝利くんに、報いるのはどちらか。たぶん、本当は私はわかってる。

 

これは私の戦いでここは戦場で戦いはまだ終わっていないけど私の感情が眠る場所のつもりです。見たくもないものを見せられた方はごめんなさい。

同じように戦っている方がもしいたら、となり同士ベッドを並べましょう。

 

 

 勝利くんにいつか心から笑える日が来るように。

よく、眠れるように。